【基本情報】
■納音: 甲申・乙酉 ■音律: 羽 ■五行: 水性
「泉中水」とは、別名「井泉水」とも呼ばれその名の通り泉や井戸の水(地下水)にたとえられています。
地下深くから湧き出したその清らかな水は、地上の生命を潤し育むことからこの納音の人は、人知れず徳を積み世に貢献する「陰徳」の魂とされ世に出る納音と言われます。人の為に尽くすほど輝くボランティアのような星。
故にこの魂が最も輝く道は決して自らを前に押し出すことなく、常に謙虚さを忘れず、世のため人のために尽くすことで陰徳を積み上げ、自然に道が開けるようになっています。五行が良く良星が出ていて、十二運「絶」で休囚していますが、前述のような姿勢をもって物事に望めば世に名を成すことも可能です。強引に事を進めると足もとを掬われることとなり悪くなります。
しかし、そのあまりの清らかさこそがこの納音の根源的ジレンマの始まりでもあります。
井戸の水。それは地上のあらゆる喧騒と汚濁から隔絶され、土という幾重ものフィルターを通過することで奇跡的なまでの純度を保った清冽なる水。その魂は、生まれながらにして嘘を憎み不正を許さず、曲がったことを何よりも嫌う絶対的なまでの倫理的潔癖性をその本質とします。
だが我々が生きるこの現象世界は、果たしてその清らかさだけで成り立っているのであろうか。
「白河の清きに魚棲みかねて、元の濁りの田沼恋しき」
古人がそう詠ったように生命とは本来陰陽、すなわち清濁の両方をその内に抱合することで初めてその全き豊かさを発揮する。
では【泉中水】というあまりにピュアな魂は、この矛盾に満ちた世界といかにして対峙し自らの純粋性を保ちながら真の豊かさを手にすることができるのか。これは単なる性格分析ではありません。一つの魂がその矛盾を超え、真の輝きを解き放つための智慧をご案内します。
第一章:純粋性という刃(やいば)
【泉中水】の純粋さは、美徳であると同時に一つの鋭利な「刃」でもある。そのあまりにクリアな道徳的価値基準は、この複雑で曖昧な人間社会の機微を、「正義」と「悪」というあまりに単純な二元論で断罪してしまう危うさを常に内包している。
この純粋さの刃は、まず他者へと向けられる。
「本音」と「建前」を巧みに使い分ける社会の成熟性を「欺瞞(ぎまん)」と断じ、相対的な幸福のために、時に必要とされる政治的妥協を「不正」と切り捨てる。その恐れを知らぬ真っ直ぐな正義感は、悪意なく社会の絶妙な力学(ダイナミクス)を破壊し、人々が丹念に築き上げてきた繊細な調和を深く傷つけてしまうだろう。
そしてその刃は、やがてより鋭く自らの内面へと向けられる。自らの心に宿る些細な利己心や嫉妬といった人間的な感情さえも、「悪」として断罪し、完璧なまでの倫理的自己を追求する。そのストイックすぎる内省は、魂を高潔にするどころか、むしろ自らを責め苛み自己肯定感を著しく低下させ神経症的な状態へと追い込んでいくことも。
純粋さとは、かくも危険な刃となり得るのだ。だからこそ【泉中水】の魂は、青年期までに「恐怖」を学ばねばならない。「自らの正義が知らぬうちに誰かを傷つけているかもしれない」という健全な恐怖を。「絶対的な正義などこの世には存在しないのかもしれない」という知的な謙虚さを。その学びのために人生は、時としてこの清らかな魂に、いくつかの「苦い水」を飲ませることを厭わないのである。
第二章:叡智という免疫
しかし、人生の全ての濁りを自らの実体験だけで学ぼうとすれば、そのあまりに清冽な魂は耐えきれず壊れてしまうかもしれません。そこで極めて重要となるのが先人たち、「叡智」との出会いである。
歴史、哲学、文学。これらの人文科学は、人類が数千年にわたって経験してきたありとあらゆる成功と失敗喜びと悲しみ、そしてその矛盾に満ちた魂の葛藤を言語という器の中に封じ込めた壮大なデータベースに他ならない。
読書とは、他者の人生を安全な場所から追体験しその複雑な力学を自らの心を直接的に傷つけることなく学ぶことができる、「精神のシミュレーション」である。様々な物語を通じて多様な価値観の存在を知り、人間の魂のその計り知れない深さと複雑さに触れる。それこそが【泉中水】の魂が、自らの純粋性を独善的な正義から、より深くそして慈愛に満ちた「知性」へと昇華させるための最も確実な道筋なのだ。それは言わば、精神的な「免疫獲得」のプロセス。
第三章:流れを創造するという使命
井戸の水は清らかだが、一つの根源的な限界を抱えている。それは「自らの意志で流れることができない」ということ。【泉中水】は、その内側に尽きることのないアイデアとインスピレーションの泉を持ちながらも、それを現実世界で具体的な「形」として実行に移す「行動力」と、現実の泥臭さを引き受ける「交渉術」に著しく欠ける傾向がある。故にその素晴らしい発想は、しばしば机上の空論で終わり、その清らかな理想は「綺麗事だ」と現実主義者たちから嘲笑される。
この星に与えられた人生の最大のテーマ。それは汲み上げられるのをただ待つだけの静的な「井戸」であることをやめ、自らの意志で大地に染み出し、新たな「流れ」を創造する動的な存在へと自らを変容させることだ。
井戸で終わるのか、それとも大海に注ぐ偉大なる川の源流となるのか。それはひとえに、この清らかな魂がどれだけこの不完全で矛盾に満ちた現実世界と向き合いその両手を汚す覚悟を持てるかにかかっている。
そのためにはまず自らの「足」で立つことを学ばねばならない。苦行のなかに身を置きながらも、自らの力で人生を歩むという最も基本的な営み。その地道なプロセスの中で初めてこの魂は、自らのアイデアがいかにして現実世界で機能するのか、あるいはしないのかを体得していくのである。
【泉中水】ほど「生涯学習」がその在意義と直結する星はない。その尽きることのないアイデアの源泉は、生まれ持った心根の良さだけでなく、絶え間ない「教養」の吸収によって初めて真に深くそして豊かなものとなるからだ。どこまでも学び続け、どこまでも自己を掘り下げ、そして世界の濁りを深く理解しつつも、決してその魂の清冽さを失わない。
その困難な道を歩み抜いた時、あなたはもはや、単なる人里離れた井戸ではない。多くの人々がその尽きることのない知恵と慈愛を求めてひっきりなしに集い続ける「天下の名泉」となっていることでしょう。
それこそが【泉中水】という気高いエスプリに与えられた最高の「天命成就」であり、そして栄光なのである。
干支構成に見る魂の葛藤
【泉中水】のこの純粋性と行動力の欠如という二律背反は、その干支構成(甲申・乙酉)にも象徴的に現れている。「甲・乙」という、始まりを司る木の氣(行動への衝動)が、「申・酉」という収穫と完成を司る金の氣(現状維持と完璧主義)によって「相剋」の関係にある。故にその内なるエネルギーは、常に葛藤を抱え強い勢いを生み出しにくい。しかしその葛藤こそが、このエスプリに他のどの魂も持ち得ない深い内省と類稀なる知性を与えているのである。
🅰:甲申 絶
通常の十二運は「絶」で休囚していますが、納音の水から見ると「長生」となり、良い運を内包しています。余り細かい事には拘らず、男女ともに、早く独立し、家庭をもって苦労しながら世に出て行くことの多い星です。人の良さから人の言動をすぐ信じて裏切られるケースもあります。運気は中年より安定しますが、急がず騒がず着実な生き方をすることで世に出て行くものです。職業は独立業、自由業、スポーツ選手等が良いのですが、会社勤め・役所勤めなどで、組織の中で生きている人は、対人関係に注意が必要。控えめであるがゆえ足を引っ張られやすい面もあります。
🅱:乙酉 絶
乙酉の泉中水は陰徳をもって発展する納音で、男女ともソフトで品がよく、貴公子然としたところのある人です。自分の短所を知って、それを克服しようと努力し、成功した人が多い星でもあります。「絶」ですが、それが官星となることもあって、女性の結婚運は悪くありません。ただし、男女とも見た目より、気が短いところや、早合点してしまうようなところがありますので(特に印星がないと)、その点に注意が必要です。職業的には技術的な面に才能があり、人間的にも愛情心をもった立派な方が多く、自分の成功を鼻にかけて歩くような人ではありません。
泉中水/井泉水の著名人 |
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藤原紀香さん 1971年6月28日生まれ |
倉木麻衣さん 1982年10月28日生まれ |
益若つばささん 1985年1月13日生まれ |
大島美幸さん 1980年1月13日生まれ |
多部未華子さん 1989年1月25日生まれ |