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天保の改暦

寛政暦法は、中国の西洋暦書『暦象考成』を通じて間接的に西洋天文学を取り入れたものでした。高橋至時の死後、長男の高橋景保(たかはしかげやす 1785~1829、シーボルト事件で獄死)と次男渋川景佑(しぶかわかげすけ 1787~1856、天文方渋川家の養子)らによって、『ラランデ天文書』とよばれていたフランス人ラランド(1732~1807)著『Astronomie』の蘭訳書を完訳する作業が続けられ、『新功暦書』が完成します。景佑らは、これに基づく改暦の命を受け、天保13年(1842)『新法暦書』を完成させました。『新法暦書』は、同年10月改暦宣下、天保15年(弘化元年、1844)から施行されました。

◆[伊勢度会暦]天保15 ◆出版年:1843(天保14年)

天保の改暦後、最初の伊勢暦。前文に、改暦の理由、暦号の由来などが記されている。

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