明治維新(1868)によって樹立された明治政府は、西洋の制度を導入して近代化を進めました。その中で、暦についても欧米との統一をはかり、明治5年(1872)11月、太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦を発表しました。これによって明治6年(1873)から、太陰太陽暦に替わり現在使われている太陽暦が採用されたのです。
準備期間がほとんどなく、本来ならば明治5年12月3日が、新しい暦では明治6年1月1日になってしまったので国内は混乱しましたが、福沢諭吉などの学者は合理的な太陽暦を支持し、普及させるための書物を著しています。
現在私たちが使っているカレンダーは太陽暦によるものですが、その中にも大寒、小寒など古来から太陰太陽暦で使われた季節を現わす言葉が残っています。毎年毎年新しくなる暦ですが、人間の歴史と文化がその中に刻みこまれているといえるでしょう。
◆太陽暦(明治6年(1873)) ◆出版年:1872(明治5年)
改暦最初の太陽暦。前文に太陽暦の原理と定時法の説明がある。突然の改暦のため、明治5年末までには行きわたらなかった。神武天皇の即位から年を数える皇紀(明治6年は紀元2533年)が入り、上欄には歴代天皇の祭典等が記載されている。