陰陽五行とは
東洋哲学(特に中国)における「宇宙の根本原理」であり、同時にそれが中国に起源する推命学や易学などの占術、或は漢方医学・針灸の根本原理ともなっています。元々は「陰陽説」と「五行説」は別々のものでしたが、それが中国戦国時代頃に一つとなり「陰陽五行説」となったものです。この「陰陽五行の理法」とは、全ての事物や現象は「陰」と「陽」との二気から生じ、また「陰」と「陽」との相対的な関係を以って存在しているとしています。更に「木」「火」「土」「金」「水」の五つの要素(五気・五行)から構成され、その五行にも各々「陰と陽」があり、そして、その五行の相生と相尅の相互関係によって様々な作用と現象が現れるとしています。また、この五要素が天地に往来して窮まりなく、作用と反作用を繰り返しながら循環することから「行」の字を使っているのです。干支について言えば、天干のことを「天の五行」、地支のことを「地の五行」と呼ぶこともあります。
この中国で発生した五行の思想起源について、歴史的には中国戦国時代の思想家 鄒衍(すうえん)が唱えたものであるとも言われています。
日本でも陰陽五行が「陰陽道」を通して、日本の様々な祭りや儀式、風習・風俗にまで浸透しています。また、日本古来よりある「神道」や、インドに源を置く「仏教」でさえも、その教理・理論構築の根幹に「陰陽五行説」が用いられています。茶道の思想の中にも「五行」の考え方が入っています。このことは、奈良時代頃に日本に請来された『五行大義』という、陰陽道の最も重要な教科書でもあった書物が、陰陽師達のみならず、貴族・文化人・仏教僧・儒学者・神道家・医者達によって読まれていたという事実が、そのことをよく物語っています。「陰陽道」(おんみょうどう)や「陰陽師」(おんみょうじ)とう呼び方自体も、「陰陽五行の原理を繰る人」という意味に由来しています。したがって、「陰陽五行」は四柱推命学などの占術理論と言うだけではなく、日本及び東洋の文化を理解するためのキーワードが「陰陽五行」であると言っても過言ではありません。
「陰陽五行」などと聞くだけで難しそうだなと思う方もいるかもしれません。しかし、その考え方は、日本の暮らしの中にしっかりと根付いており、暦、様々な行事や神事、文化、日々の習わしや都市設計までも陰陽五行思想が根底に流れています。例えば神事であり国技である相撲の土俵の上にある四つの房は、東に青房・西に白房・南に赤房・北に黒房となっており、黄色は土俵の色が示していて見事に五色が表現されています。
京都の都市設計では、京都御所の鬼門封じのために比叡山延暦寺や貴船神社などをつなぐ三角形の結界を組み、都の四方(東西南北)を魔物から守るために四神東の青龍(東山、吉田山)西の白虎(双ヶ丘 西山)南の朱雀(巨椋池)北の玄武(船岡山 北山)の気が集まるようになっています。
年中行事、お正月に神社やお寺で見かける五色の幕や五色の短冊も「青(緑)」「黄」「赤」「白」「黒(紫)」という五色は森羅万象を表し、それが揃うことで魔除けに。お正月に食べるお節や鏡餅の飾り、七草の節句や桃の節句、端午の節句や七夕の節句など節目の行事も同じようにその考えが反映されていて、日本文化の根底には「陰陽五行」の影響を多く受けています。
一般的にはなかなか意識をすることはないかも知れませんが、私たちはその理由を知らないまま当たり前のこととして日々を過ごしており、「陰陽五行」の考え方は日本の暮らしの中にしっかりと根付いていて、その上に私たちの生活が営まれております。
そこには深い意味があり、連綿と伝えられてきた古代からの叡智が込められているのです。
出典:蛇窪龍神昇降図 蛇窪神社